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台南に行こう

台湾旅行マニアなら台南地区を訪れよう! 台湾南部でもっとも大きい街が高雄ですが、実は南部には、台湾で4番目に大きな街として台南も存在しています。 高雄よりもちょこっと北に位置する台南は、台湾の古都であり人口は約77万人ほどです。 日本統治時代には台北に次いで台湾第2の城市として知られていました。 そのため、たくさんの旧跡が残っており、現代的な都市景観との複合が非常にノスタルジックでもあり、日本では台湾の京都などと呼ばれることもあるのです。 台南にも孔子廟があります。 台湾最古の孔子廟で、1665年に創建されました。日本統治までは、台湾儒学の最高学府であったのです。是非、興味のある観光客は見ておいて損はありません。 延平郡王祠は、鄭成功没後に建てられた古刹です。日本の統治時代には開山神社としていました。龍のいる庭園は非常に美しく、昔ながらの井戸も残っています。 アジア最大の聖母廊が正統鹿耳門聖母廊です。驚くほどの巨大な建物で、廊内の豪華さもそれは圧巻です。 ★台湾行くなら中国語 単語を少しでも知っておいた方が役にたちますね。そこでおすすめなのが、キクタン中国語 入門編です。中国語単語を音楽にのりながら楽しく覚えられちゃいますよ。

台湾、日本統治時代

台南神社(臺南神社、たいなんじんや)は、日本統治時代 (台湾) 日本統治時代の台湾台南州台南市南門町(現在の南門路、忠義路、府前路やらなんやら)にあった神社であるちうわけや。戦後は廃社されたちうわけや。 北白川宮能久親王を祭神としとった。 台南神社境内は北白川宮能久親王の終焉の地であるちうわけや。能久親王は明治28年10月28日に台南の豪族呉汝祥の家で亡くなりよった。当初、台湾の神社の中心となる台湾神社(のち台湾神宮)の候補地として挙がったが、同社は台北に創建されたちうわけや。その後、当地は台湾神社遥拝所となり、台湾神社が管理したちうわけや。大正9年、台湾総督府はここに工を起し、大正12年本社が建立され、大正14年10月31日に官幣中社に列せられたちうわけや。台湾への中華民国軍進駐後は廃社されたちうわけや。